爆弾騒ぎと誘拐事件

アイワかたりべ


「アイワ本社に爆弾を仕掛けた」

そんな電話がかかってきたことがありました。

1994年の寒くも暑くもない季節のことだったと思います。

1974年に起こった三菱重工爆破事件が思い起こされます。
他にも三井物産、大成建設、鹿島建設、帝人中央研究所などが標的になりました。

アイワも有名になったもんだなぁ~、なんて喜んでもいられません。
本当かどうかわからないので、全社員、不忍通りを渡って向かい側の不忍池に避難しました。

警察・消防による捜索の結果、何も見つからず、いたずら電話ということで決着。
およそ1時間の休憩となりました。

それでも立派な営業妨害ですよね。

まぁでも、避難中は不忍池を泳ぐ鴨なんかを眺めながらなんとも平和なひとときでした。
目の前過ぎて、ゆっくり池を眺めるなんてこともなかったので、そういう意味ではよかった、ということにしておきましょうか。


事件と言えばもうひとつ、誘拐事件もありました。

当時日本で働いていた中国系アイワ社員の子供が誘拐され、身代金が要求されました。
当然のことながら箝口令が敷かれ、一部の関係者以外には知らされず、秘密裏に捜査がおこなわれました。
私も知りませんでしたが、嫁さんのいた部署が関係者に近かったため、知るに及びました。

その後の顛末も伝えられていませんが、報道などがなかったところから察するに、無事だったのかな、と思います。

1974年の事件は思想的なものが背景にあって引きおこされましたが、アイワが巻き込まれた事件は金銭目的です。
いづれも脅せば金が取れるだろう、という考えですよね。

アイワシンガポールができた際に海外赴任した社員が住んだのは、プール付きの豪邸で、お手伝いさんを雇っていたそうです。

別に高い給料をもらっていたわけではないんですよ。いくばくかの海外赴任手当はついたでしょうけど。
日本の標準的な給与水準でも、当時のシンガポールの物価なら、そういう生活ができてしまったんですね。
だからこそ、安い労働力で安く製品が作れるからこそ、海外工場を作っているわけですし。

治安や食生活などを勘案すると、安全な家と、街に買い出しに行って日本人の口に合う食事を作ってくれる現地の人を雇ったほうが安心して生活が送れたという面もあったようです。

でも、それを見た現地の人たちには「アイワは金持ち」という印象を植え付けてしまったかも知れません。

当時はシンガポールのみならず、マレーシアや中国にも生産拠点を拡大していました。

だから事件が相次いだのでしょう。

その後は東南アジア諸国も、中国・韓国も生活水準が上がり、一方で日本の生活水準は下がり、もうそんな事件も聞かなくなりましたが、当時の世相を反映したエピソードだったと言えるでしょう。

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